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Living as an earthling.

旧ソビエトに思うこと。

2022/03/04
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ウクライナ
コロナ渦が2年以上続き、なかなか先の見えない世の中。
ここに来て、ロシアがウクライナに侵攻したというニュースが連日報道されています。

私は、1年半ほど旧ソビエトの国の一つ、ラトビアで暮らしていたので、旧ソビエトの国々には少なからず思い入れがあり、ロシアにもウクライナにもベラルーシにも友人知人が大勢います。
ラトビアに嫁いだ時、お互いにラトビア人に嫁いだ外国人妻だねと、一番初めに友達になってくれた人はベラルーシ人でした。
国際結婚の先輩として、何でも相談に乗ってくれて、結婚祝いもくれて、彼女に赤ちゃんが生まれたときににはお祝いに日本製の授乳クッションやおくるみをプレゼントして、私がラトビアを去る時まで、ずっと気にかけていてくれました。

ラトビアで勤めていた会社は、ロシアのモスクワにもウクライナのキエフにも支社があって、出張で顔を合わせたり、ビデオ会議でやり取りしたりした現地の同僚も大勢いました。
ラトビアオフィスの同僚たちは、3分の1がロシア人(またはロシア系)、3分の1がラトビア人、残りの3分の1が私を含む多国籍社員という構成で、昔は敵同志だった人たちにいまだに残る彼らの透明な隔たりも肌で感じながら、また、多様性を受け入れて、過去は過去としてお互いを認め合いながら一緒に業務に打ち込む姿も見てきました。

日本において、昭和、平成、令和という時代の移り変わりは、ただ年号が変わって生活様式が徐々に変化していった、そのくらいの時代の変化だったけれど、
旧ソビエトの人たちにとってのこの40年間というのは、迫害を受け、独立し、国が変わった40年でした。
私と同じ世代の同僚たちは、みなソビエト連邦の時代を実際に生きた人たちです。

家を奪われて、3LDKの狭いコンクリートアパートに親戚一同、十数人が一緒に暮らしたり。
欧米の雑誌やレコードを楽しむことは禁じられていて、恐怖を感じながらもこっそり隠し持っていたとか。
ラトビア語の使用も禁じられて、一歩外に出ればロシア語を話すように指導されたとか。
やがてソビエトが崩壊して国が独立して、彼らの暮らしが劇的に変化して。
今では、欧米の若者たちと同じようにおしゃれを楽しみ、好きな音楽を聴いて、自由に言葉を話し、旅行もして、見た目こそ私たちと変わらない同世代の友人たち。
でも、毎日デスクを並べて一緒に仕事をしていると、ロシア人とラトビア人の、互いに対する警戒心であったり、触れない暗黙の了解であったり、無意識に保つ距離感だったり、そういうものがよく分かるようになりました。
そして、大多数のアイデンティティが実は曖昧だということにも気が付きました。
ロシア人に見える人でも母方がラトビア人だったり、ラトビア人としてふるまっている人も祖父母の代はロシア人とベラルーシ人だったり。
彼らにとって、ロシアとラトビアを敵か味方かで考えようとすることは、隣のデスクの同僚をその出自だけで敵か味方か判別することであり、自分の家族、もっと言えば自分の中のDNAが半分ずつ敵であり味方であると判別すること。
だから、みんなその事にはあえて触れないし、ルーツがどうであれ一人の人間として、お互いを理解しようとしていました。

けれど、内面的な、ロシア派かラトビア派か、のような部分は、私のような部外者にでも容易に見分けがつきました。
名前や苗字、宗派だけでなく、話し方やふるまい、いわゆる仲良しグループのようなひとかたまりの集団になると、あぁ、この人たちはロシア系だな、この人たちはラトビア系だな、と私にも察しがつきました。

この複雑なアイデンティティを日本人が理解しやすいように例えるとしたら、在日韓国・朝鮮の方々を思い浮かべると近いかもしれません。
どちらが良い悪いの話ではなくて。
その人の人となりを見ずに、出自や家系や血統で相手を判断する事は、差別であり諍いを産みますし、とうてい正しい答えには結び付きません。
二世、三世の方々は、国籍は日本でなくても、日本で生まれ育ってアイデンティティは日本人に近い人も大勢いる。日本国籍を持っていても、先祖の国のアイデンティティを保ち続けている人もいる。
だから、どちら派か、とか、血統がどうかとか、国籍がどうかという事ではなく、相手を1人の人間としてお互いを認識するでしょう。
日本と韓国とは、政治の上では上手くいかない事も多いけれど、本当は一番親近感の湧く外国である事も事実ですよね。
実際、日本人が海外留学なんかに行けば、一番初めに意気投合して親友になるのは、たいてい韓国人です。
旧ソビエトもそうです。
ロシア人もウクライナ人もベラルーシ人もラトビア人も、一歩海外に出れば、多くを語らずとも出会った瞬間に分かり合える、一番初めに意気投合して友達になるほどに親近感が湧く国民同士なのです。
そこに戦う理由さえ無ければ、一緒に取組む何かさえあれば、むしろ真っ先に親友になる人達なのです。

ただ、多少似ているとはいえ日本と旧ソビエトで大きく違うのは、その歴史が教科書で習った先祖の時代の話ではなく、つい30年ほど前の事で、当時起きた事の一部始終をまだ人々が記憶している事、その"元は敵国だった国のアイデンティティを持つ人達"の人数が国民の人口の3分の1近くを占めること(例えば、選ぶ政治家が違っただけで国の名前が変わりかねないということ)、宗派も話す言葉も違うこと、苗字や名前である程度察しがつくこと、などではないかと思います。
相手が誰であれ初対面の人に笑顔を向けない、まずは警戒してバリアを張る事から人間関係が始まる彼らの独特の国民性に、私個人的にはそういった歴史をいつも垣間見ていました。

そんな中でも、互いを受け入れ、どうにか均衡を保ちながら平和を求めて暮らして来た彼らに、"どちらに付くか選んで戦え"と、ミサイルを打ち込んでいるのです。
たとえ血統が違っても国籍が違っても他国のアイデンティティでも、戦う必要がなければ少なくとも"敵"ではないはずなのに。

私はウクライナには行った事こそないけれど、ウクライナの辿った歴史はラトビアの歴史とよく似ているし、ウクライナの人々のメンタリティーも、ラトビアで私が見てきたそれと、似ているんじゃないかと思う。

独立から30年以上経ち、ソビエトの歴史を経験していない若い世代が増えて、やがて多様性を受け入れて、相手の出自や国籍ではなく、一人一人の人間として関係を保って暮らしてきた、ロシアやウクライナやベラルーシの人々に対して、
一部の政治家が、その覇権を争うためだけに、親ロシア派かウクライナ派か、敵か味方か、殺るか殺られるかという、非情な選択を迫っているのだと思います。
ウクライナで武器を向けあった親ロシア派兵とウクライナ兵は、戦争がなければただの隣人同士であり、あるいは遠い親戚であり、デスクを並べる同僚であり、犬の散歩で顔を合わせる、同じ地域の住民同士だったはずです。

以前、京都のシェアハウスで出会ったウクライナ人の女の子と、意気投合して深夜まで語り合ったことがありました。
私がラトビアで感じたことを話していると、初対面にもかかわらず、彼女が涙しながら身の上を語ってくれました。
彼女はロシア系ウクライナ人で、クリミア出身。ウクライナでは、ロシア系というだけで敵とみなされて嫌がらせを受けたり差別を受けた。でもクリミアにロシアが侵攻してくると、今度はロシアから攻撃を受けて家を奪われて、家族で引っ越しを余儀なくされた。
ウクライナに居るのが辛くなってモスクワの大学に進学したけれど、モスクワの大学ではウクライナ人だからと差別や嫌がらせを受けたのだと。自分はどこに行っても敵とみなされるのだと。
日本で働き始めてからはそのことを考えずにいられるけれど、今度は、ロシアのこともウクライナのことも、日本の人は何も知らない、自分のことは日本人には決して理解されないと感じて、孤独感が辛くなってしまったのだと。
こんなにも自分の過去を話せる、理解してくれる日本人に初めて出会ったと、言ってくれました。
私も、自分がラトビアで経験した言葉にしがたい感情や、少なからず差別や嫌がらせを受けたこと、それでもラトビアの人々と接して彼らの生きてきた時代を思えば、批判する気になれなくて、どうしても嫌いにはなれないのだということを、こんなにも理解してくれる人に、初めて出会ったよと、深夜にお互い泣きながらハグをして、チューハイを飲み交わしました。

ロシアがウクライナに侵攻したというニュースは、ラトビアの人たちにとっても、他人事ではない重大な出来事だと思います。
日本でぬくぬくと暮らしている私は、戦火が拡大しないことを祈るくらいしかできないけれど、ロシア人もウクライナ人もベラルーシ人も、ラトビアやほかの旧ソビエトの国々の人たちも、みんな変わらず無事であってほしいと思うばかりです。

現地にあまりに友人知人が大勢いて、今回の戦争はなんだか、距離感が近く感じます。
ロシアはウクライナの隣国であり、ベラルーシやラトビアの隣国であると同時に、日本の隣国です。
この戦争は対岸の火事ではなく、今まさに隣の家が燃え始めているという、危機感を持たなければいけないと思います。

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